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<span itemprop="headline">映画「赤ひげ」(1965)</span>

「赤ひげ」は、黒澤明監督の文芸大作。原作、山本周五郎

迫力があって、豪快なアクションもあった。見ごたえのある映画だった。

見習い医員(加山雄三)が、養生所に入り、慣れず、嫌気がさしていたが、所長(三船敏郎)の生き方に
触発され、鍛えられながら成長していく姿を描いていた。

日経新聞の「私の履歴書」に連載中の香川京子も珍しく ”狂女”として出演しており
狂気の演技も印象に残る。

リバイバルで、公開数年後に学生時代に見た頃では、内藤洋子が可憐な少女役で印象に残る
(喜多嶋舞の母親といったほうがわかりやすいのか)。

19日付け「履歴書」では、この「赤ひげ」の裏話が紹介されている。

溝口監督など大物監督の常連だった香川京子は、黒澤作品にも欠かせない存在だった。
主演の三船敏郎の妻役(「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」など)が多かった。



黒澤映画というと男性映画で、女性の登場は少ない。
香川京子いわく「(女性は)目立ってはいけないが、存在感は示さないといけない」役柄だったようだ。

あらすじ:

医員見習として小石川養生所へ住み込んだ保本登(加山雄三)は、出世を夢みて、長崎に遊学した
その志が、古びて、貧乏の匂いがたちこめるこの養生所で、ついえていくのを、不満やるかたない
思いで、過していた。

赤っぽいひげが荒々しく生えた所長新出去定(三船敏郎)が精悍で厳しい面持で、「お前は今日からここに詰める」といった一言で、登の運命が決まった。人の心を見抜くような赤ひげの目に反撥する登は
この養生所の禁をすべて破って、養生所を出されることを頼みとしていた。

薬草園の中にある座敷牢にいる美しい狂女(香川京子)は、赤ひげのみたてで先天性狂的躰質ということであった。登は、赤ひげのみたてが誤診であることを指摘したが、禁を侵して足しげく通った結果登は、赤ひげのみたてが正しかったことを知った。

毎日、貧乏人と接し、黙々と医術をほどこす赤ひげは、和蘭陀医学を学ばなければ解る筈のない大機里爾という言葉を使って、登に目をみはらせた。

赤ひげは「病気の原因は社会の貧困と無知から来るものでこれに治療法はない」といつも口にしていた。

こんな中で登は、貧しく死んでゆく人々の平凡な顔の中に、人生の不幸を耐えた美しさを見るようになった。登が赤ひげに共鳴して初めてお仕着せを着た日赤ひげは登を連れて岡場所に来た。そして幼い身体で客商売を強いられるおとよ(内藤洋子)を助けたのだった・・・。


☆☆☆