「現代やくざ 人斬り与太」「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972)は、
菅原文太を東映のスターに押し上げた作品だった。実際のやくざだった
安藤昇のすごみも、半端でなかった。
深作欣二監督=菅原文太の黄金コンビは、1973年からはじまった
「仁義なき戦い」シリーズ
で、花開き、日本のやくざ映画の金字塔を
打ち立てることになる。
それまでの "健さんヤクザ映画"の流れをも変える
現代やくざ映画の傑作を生み出すことになったのである。
人斬り与太(菅原文太)を通して、やくざ組織に挑戦する愚連隊と
組織の中で巧みに泳ぐ二人の男を通して“暴力"のナマの姿を描いた。
撮影の技術的には、ノーライト、手持ちカミラ、100ミリ望遠レンズを主体にし、
また全篇 ”4倍増感現像”で粒子の荒れた画像を出しているという。
「人斬り与太 狂犬三兄弟」は、脚本が「博徒斬り込み隊」の石松愛弘、
監督は脚本も執筆している「軍旗はためく下に」の深作欣二。
撮影は「喜劇 セックス攻防戦」の仲沢半次郎。
当時の映画感想メモ:
(197X年3月14日)「ワイルドバンチ」のサム・ペキンパーにも劣らない暴力描写の
すさまじさ。文太の圧倒的な演技。脚本がよく、あきさせない。
川崎のうす汚れた売春街に住んでいる沖田勇(菅原文太)は、売春婦だった
母親が死んでからは、チンピラの手下となって馳げずりまわっていた。そして、
感化院とシャバを往復しているうちに、男は街の愚連隊の番長となっていく・・・。
やがて、滝川組が川崎を牛耳るようになった。組織に支配されるのを嫌う勇は、
滝川組と対立し組員を斬って刑務所入り。勇を失った仲間は自然離散していった。
それから5年---。日本は終戦後の復興処理が急速に進みあちこちの都市では、
大きなビルディングが建ち、その姿を変えていった。川崎も例外ではなく、
ただ勇が住んでいた売春街の一角だけは取り残され、今だに昔の面影を残していた。
菅原文太の映画史で、代表作「仁義なき戦い」へのステップとなった
記念すべき作品で、一見の価値はあった。