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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">思い出の名優:②「ユル・ブリンナー」 トレードマークのスキンヘッド</span>




 ユル・ブリンナー(1915-1985)を最初に見たのは、どの映画だったか思い出しています。
 2本立て上映などが当たり前だった当時の名画座で見た「続・荒野の七人」(1966)でしたね。
 見たのは、数年後のリバイバルでした。この映画で、黒尽くめの頭丸坊主の主人公(ユル・
 ブリンナー)で、冷静・沈着な役柄に、只者ではない俳優だなと思ったりしました。

 実はこの映画には、当時では日本人なら誰でも知っている俳優が出演していました。
 ロバート・フラーです。えっ、ご存じないですか? 日曜洋画劇場で、淀川長治さんが
 解説をする前にテレビで初の映画解説をしていた「ララミー牧場」の主演西部劇俳優です。
 来日したときは、まだ小さかったですが、日本中の騒ぎは、アラン・ドロン並みの
 人気だったでしょうね。

 横道にそれましたが、後に見たオリジナルの「荒野の七人」では、黒澤明の名作「七人の侍」の
 中心人物、志村喬の役柄で、七人のまとめ役を演じて、代表作となっています。しかし、
 ユル・ブリンナーを世界的な俳優にしたのは、なんといっても、王様と私でした。

 こんな、コミカルで、お茶目な側面を見せたブリンナーの王様役は、一世一代の名演という
 しかないでしょう。そのときの坊主頭の印象があまりにも強いので、そのまま、その後もトレード
 マークとなったと聞いています。

 1949年に、ラズロ・ベネディク監督の「ニューヨーク港」で映画デビューを果たし、1950年には
 台女優メアリー・マーティンの薦めで、作詞作曲家コンビ、ロジャースとハマースタインが手掛けた
 新作舞台ミュージカル「王様と私」のオーディションに参加。そのオリエンタルな風貌と、
 ジプシー民謡を歌ったユニークさが買われてシャムの王様役に抜擢。1951年2月26日に
 初演されると、舞台と共にブリンナーの演技は大絶賛を浴び、舞台公演中に衣装デザイナーの
 アイリーン・シャラフの薦めでそり上げたツルツルの坊主頭は彼のトレード・マークとなりました。
 
 1956年に製作された映画版でも当たり役となった王様役を演じて映画をヒットさせ、アカデミー
 主演男優賞
を獲得。同年にはセシル・B・デミル監督の遺作となったスペクタクル
 史劇「十戒」でモーゼと対立するエジプト王ファラオを、イングリッド・バーグマン
 ハリウッド復帰作「追想」ではペテン師のボーニンを演じるなど、大活躍が続きました。

 そして、そして、1960年には、黒澤明監督の名作「七人の侍」(54)へと続くわけですね。自ら
 リメイク権を獲得したというだけあって、ブリンナーは、オリジナルで志村喬が演じたリーダーを
 演じ、スティーブ・マックィーンチャールズ・ブロンソンなどの若手スターにも引けを取らない
 アクションを披露したのでした。

 1973年のマイケル・クライトン監督のSF映画「ウェストワールド」では、「荒野の七人」の
 ガンマン役をほうふつとさせるアンドロイドのガンマン(実はロボット!)を演じ、ロボットの
 無機質な雰囲気を出すために息を止めて演技をしたということです。

 そんなブリンナーも、ヘビー・スモーカーで、1983年に肺癌の診断を受けますが、癌の悪化で
 続演が不可能となった1985年の5月まで、1951年の初演以来4621回もの上演で王様役を演じ
 続けました。余命いくばくもない事を知ったブリンナーは、死の直前に禁煙を訴えるテレビの
 コマーシャルに出演したといいます。このコマーシャルが、彼の死後に放映されたことから、
 全米の人々に喫煙の恐ろしさを人々に訴えたというからすごいインパクトがあったでしょうね。

 「サンキュー・スモーキング」なんて言ってられないかもしれません(爆)。