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<span itemprop="headline">1970年代⑪「ダーティ・ハリー」</span>



1970年代⑪「ダーティ・ハリー」

 クリント・イーストウッドの名声を確立した、ポリス・アクションの傑作。
以後、続編が数本続き、シリーズが定着した。 銃身の長いマグナム銃のド迫力が度肝を抜いた!
 
 イーストウッドほど、長期にわたり映画界で成功を収めている俳優兼監督は、ほかに見当たらない。
 
 本格的な人気を高めたのは、TVシリーズ「ローハイド」。主役よりも、人気を博し、日本でも大ヒット。この時、初来日。映画は、1964年にイタリアに招かれて撮った「荒野の用心棒」(黒沢明の「用心棒」を勝手にウエスタンに仕立てた)が世界的ヒットを飛ばしたのをきっかけにマカロニ・ウェスタン・ブームに乗り人気上昇。「夕陽のガンマン」などを残した。
 その後71年の「ダーティハリー」のハリー・キャラハン役でマネー・メイキング・スターのトップに躍り出たのである。以降、自らのプロダクション、マルパソ・カンパニーを率いて「恐怖のメロディ」で初監督。役者のみならず監督としても高い評価を受け、92年、自分の映画の師であるセルジオ・レオーネドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”「許されざる者」で念願のアカデミー作品・監督賞を受賞。

 監督に専念した03年の「ミスティック・リバー」では、人生の不条理と人間の心の闇を描き出した傑作と高い評価を受けたが、同年のアカデミー賞では演技部門で2つのオスカーを獲得するも、自身の監督賞と作品賞は、11部門制覇の快挙を成し遂げた「ロード・オブ・ザ・リング王の帰還」の前に涙を呑むこととなった。

 しかし翌年、女性ボクサーと老トレーナーをめぐる悲愴な人生を描いた監督・主演作「ミリオンダラー・ベイビー」を発表、再びアカデミー賞にノミネートされると、今度は「アビエイター」のマーティン・スコセッシ監督との事実上の一騎打ちを制し、みごと2度目のアカデミー監督賞(74歳での監督賞受賞は最高齢記録)に輝き、前年の雪辱を果たした。

 同作は作品賞をはじめ主要部門で計4つのオスカーを獲得。もはや名実ともにハリウッドを代表する映画人として誰もが認める巨匠である。

 また、86年からの2年間、カリフォルニア州カーメル市で市長に就任した。

ダーティー・ハリー
1972年米国作品
製作・監督: ドン・シーゲル
製作: ロバート・デイリー/カール・ピンシドア
脚本: ハリー・ジュリアン/リタ・M.フィンク/ディーン・ライズナー
音楽: ラロ・シフリン
出演: クリント・イーストウッド/ハリー・ガーディノ/アンディ・ロビンソン

(内容)
 サンフランシスコのとある屋上プールで泳ぐ女性が何者かに狙撃される事件が発生した。捜査にあたるのは、「ダーティハリー」の異名をもつハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)。やがて「さそり」と名乗る犯人から「十万ドルを渡さなければ市民を殺し続ける」という脅迫状が届き、予告どおり、次々に無差別殺人が繰り返される・・・。